離れていても、できること。
頼れる妹&ぽんこつ姉の遠距離サポート奮闘記

母の認知症

小さな変化が教えてくれること:②運転免許自主返納

小さな変化が教えてくれること②運転免許自主返納
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こんなことを書いています

「あれ?もう車に乗ってないの?」——意外な一言から始まった気づき

帰省したとき、ふとした会話で「もう車、処分したのよ」という言葉を聞いたときの驚き。
長年、運転を生活の一部にしていた母が、いつの間にかハンドルを手放していたことに気づくまでの経緯や印象を書いています。

運転が日常だった

両親ともに、定期的に職場が移動する仕事だったため、通勤はほぼ車でした。

父は、通勤以外に車に乗ることは少なく、近くの店や図書館などに行くときは自転車か徒歩でした。
(この自転車がのちのち大変なことになるのですが、、、)

母は、私が中学生の頃に免許を取って運転するようになり、通勤はもちろん、日常の買い物、孫(私の娘)が小さい頃は飛行機の距離の私の家まで運転してきたこともありました。

ようするに、母のほうが車の運転は嫌いじゃなく、むしろ好き。
車はは手放せない!といった生活をしていました。

免許返納の前にあった“予兆”たち

私自身は離れて暮らしているので、免許返納前の予兆には正直なところ全く気づいていませんでした。

離れて暮らしているせいなのか、何しろ両親とも子どもたちに心配をかけることは一切話さない人たちだったので。

ただ、実家近くに住む叔母や、私よりは帰省頻度のある妹から、下記のような連絡が入ったことがありました。

  • お母さん、車をぶつけたらしいよ
  • よく通る道で迷ってしまったらしいのよ
  • 夜は運転しないようにしてるって言ってた
  • 更新手続き(高齢者講習)に不安を感じているみたい

これを聞いて、あ~もうそろそろ運転は厳しいな~、今度帰省した時に免許返納の話しをしようと思っていました。

なぜ、自分から返納したのか?

運転免許の自主返納は、こちらから説得して実現したのではなく、母自身の判断によるものでした。

正直、私も驚きました。

でも、帰省したときに何気なく聞いた話や、母の言葉の端々から、その背景にある思いや理由が少しずつ見えてきました。
これは帰省の際に母から聞いたことと、私の想像も交えてピックアップしてみました。

自分で「危ない」と感じる瞬間があった

「この前、右折するときに対向車に気づくのが遅れて…」と、母がぽつりとこぼしたのを覚えています。

これまで運転には自信を持っていた母が、こんな風に話すのは珍しく、「もしかして、何か感じているのかな」と思った瞬間でした。

きっと、自分の中で「あれ?前と違う」と感じる場面が、少しずつ増えていたのかもしれません。

ニュースや周囲の事故を見て意識した

高齢ドライバーによる事故のニュースが流れるたび、「怖いねぇ、うちも気をつけなきゃね」と母が話していたのを思い出します。

実は、近所でも軽微な接触事故があり、それが「もしかして自分も…」という気づきにつながったのではと想像しています。

判断力や注意力の低下への気づき

「信号の色が変わったのに、すぐ反応できなかった」とか「道を間違えて戻るのに時間がかかった」といった小さな出来事が重なっていたようでした。

以前の母なら絶対に言わなかったようなこと。自分でも「昔ほどではないな」と自覚することが増えていたのだと思います。

「迷惑をかけたくない」という気持ち

母はもともと、「人に迷惑をかけるのがイヤ」というタイプでした。

「事故でも起こしたら取り返しがつかないものね」と言っていたこともあり、家族に心配をかけたくない・誰かを傷つけることがあってはならないという強い想いがあったのではないかと思います。

家族や医師からの助言や指摘

私たち家族が、「最近どう?」と聞いても、いつもは「まだ大丈夫よ」と笑っていた母ですが、かかりつけの先生に「運転、少し控えてみたら?」と言われたことが決定打だったようです。

専門家からの一言は、家族の声よりも素直に受け入れやすかったのかもしれません。

家族としてできたこと・できなかったこと

運転免許を返納するということは、危険なことを回避できる一方、以前簡単にひとりで行けていたところに行けなくなるということ。

離れて暮らしている子供としては安心な一方、あきらかに外出が減り、社会との接点が少なくなり、習い事や趣味もやめ、、
と活動範囲が狭まったことで、認知症の進行も進んだのではないかと思っています。

また、今だったらこうできたのにと思うことがたくさんあるので、ピックアップしています。

気づけなかった後悔――「もっと早く話をしていれば…」

小さなサインを見逃したこと

  • 「最近はなるべく車に乗らないようにしてる」など、一言でも聞いていれば、返納のきっかけを一緒に考えられたかもしれない。
  • 車をぶつけた時のことや、道に迷ったときの様子を共有してもらえていれば、不安の深さに早く気づけた。
  • もっと頻繁に連絡して様子を確認しておけばよかった。

帰省中の“忙しさ”にかまけて会話が浅かったこと

  • 帰省時には家の片づけや食事の準備で手いっぱいになり、じっくり「最近の運転どう?」と聞く余裕がなかった。

本人の気持ちを尊重できたか?

返納を“強制”せず、選択肢を示す

運転免許の返納は、高齢の親にとって「自立の終わり」と感じられることがあります。

高齢者の事故や免許返納の話などニュースで見聞きするたび、うちの親もそろそろ免許返納したほうがいいんじゃないかなぁとは思いつつ、遠くに住んでいる私にとって、「事故の不安」と「本人のプライド」の板挟みでした。

直接顔を見て話せないもどかしさのなかで、電話や帰省のたびに少しずつ切り出していけたらよかった。

  • 「最近、運転してて疲れやすくなったりしない?」
  • 「万が一があったら心配だから、無理しないでね」

そんなふうに、こちらの不安を押しつけすぎないよう気をつけながら、「運転しない選択」も自然なこととして伝えようとしました。

でも実際には、「まだ大丈夫」「事故なんて起こしたことない」と言われると、それ以上踏み込めずに会話が終わってしまったこともあります。

自尊心を支える言葉選びと姿勢

遠くにいるからこそ、親の“できていること”を尊重する気持ちは、いつも忘れないようにしていました。

  • 「これまで無事故でやってきたなんて、本当にすごいよね」
  • 「ずっと家族を乗せてくれてありがとう」

そんな言葉を意識的に伝えることで、自分の判断やこれまでの努力を認めてもらえていると感じてもらえたのかもしれません。

また、返納を選ぶことが「自由を失う」ではなく、

  • 「もし返納したら、必要なときはタクシーを手配するし、必要なものがあったら送るよ」
  • 「帰省のときは一緒に出かけようね」

と、代替手段や楽しみを一緒に考える姿勢を伝えました。

返納後の生活サポート――買い物・通院・外出手段など

これに関しては、当時はできていないことも多かったです。

今ならもっと、文明の利器も使ってサポートできるんじゃないかと思うので、自分ができなかったことも含めてピックアップしています。

買い物代行サービスや生協の導入

  • 生協を活用して、食料品、日用品を週1回配達してもらうようにした。
  • 地元のママさんグループが運営する「週1回の買い物サポート」に登録し、重い荷物を自宅まで運んでもらうよう手配。
  • 近所のスーパーが配達無料になる高齢者割引を調べ、手続きを一緒に行う。

通院時の同行体制つくり

  • 帰省時に合わせて病院を予約し、レンタカーを借りて妹と送迎や付き添いをした。
  • 地域包括支援センターに相談し、見守り付き送迎サービスを利用。

公共交通やデマンド交通の活用

これは当時、特に地方は今のようにIT化、DX化な世の中ではなかったこともあり、できていなかったことです。

  • スマホが苦手な親には、ICカード式の定期券を発行し、バスの乗り方を実際に一緒に練習。
  • デマンドタクシーアプリの使い方を教え、初回利用クーポンをプレゼントして試してもらう。

生活の選択肢をどう一緒に考えていくか

「週に1回は外出日」をカレンダー化

  • 帰省時に大型カレンダーに「買い物」「美容室」「公民館サークル」などの予定を書き込み、一緒にルーティンを組み立て。

趣味やコミュニティの再活用

  • 興味のありそうな趣味サークルに参加を促し、車がなくても通える近隣の集まりをリサーチ。
  • 友人宅や地域の福祉センターで開催される送迎付きイベント情報をまとめて共有。

家族間の役割分担を明確に

  • 日々の見守りは父に依頼、ケアマネージャーさんに月2くらい訪問してもらう
  • 定期的な家族LINEグループを立ち上げ、今週のサポート内容や次回帰省の予定をメモしておく。

小さな変化を、見逃さないために

親の運転免許返納は、ただの「手続き」ではなく、人生のひと区切りであり、生活の再設計です。

子どもとして何ができたか、できなかったかを振り返ると、後悔や反省もありますが、何より大切なのは「変化のサイン」に気づき、寄り添おうとする姿勢だったと感じています。

遠くに暮らしていても、完全に手放すことはできなくても、関わり方や伝え方を工夫することで、本人の決断に少しでも伴走できるのではないでしょうか。

「もう乗ってないの?」という何気ない一言が、こんなにも多くのことを考えるきっかけになるとは思っていませんでした。

これからも、親の「小さな変化」を見逃さず、柔らかく、でも確かに関わり続けていきたいと思います。