私が初めて母が“道に迷った”ことを知ったのは、実家の近くに住む叔母からの一本の電話でした。
母は昔から、弱みを見せるのが苦手な人。
だからこそ、私や妹には何も言わなかったのだと思います。
その「迷子」を知らせる1本の電話は、親の認知症が進んでいる事に気づくきっかけになり、家族としてどう向き合っていくかを考えさせてくれる出来事でした。
今回はそんな“小さな事件”を通して感じた、家族との距離や、支え合うかたちについて書いています。
知らされなかった“小さな事件”
迷子になった事実を、母ではなく叔母から聞いたこと
私が、母が道に迷ってということを知ったのは、実家の近くに住む叔母からの電話でした。
驚いた、というより、「え?そんなことが?もうそんなに認知症が進んでいるんだ」という驚きと、「母も父もなぜ言ってくれなかったんだろう」という複雑な気持ち、そして静かなショックを受けたことを覚えています。
母の中で、なにかが変わりはじめているひとつの「変化のサイン」のかもしれない。
遠くに暮らす家族として、私はどうこの出来事を受け止めたらよかったのか、今後どうするのがよいのか、具体的に考えていくきっかけになりました。
「迷子」の背景にあるもの
母が道に迷った状況
叔母の話によると、詳しくまではわからないのだけれど、こういう出来事があったそうです。
- 最初に聞いたのは、車で1時間くらいのところに住む、母の実姉から電話で。
実家近くに用事があって行くから会おうということになり、「駅まで迎えに行くね」と言っていたのに当日現れず、電話すると母は家にいて「忘れてた!今から行く」と電話を切ったものの、待てど暮らせど来ず、、。
心配した叔母がタクシーで家まで向かうと、迎えに行くことはすっかり忘れていて、家の周りをうろうろしていたそうです。 - そんな話を聞いたので、心配になって、徒歩20分くらいのところに住む一人の叔母父(父の妹)にも念のため連絡してみると、
「実は1~2度迷ってたことがあるって兄(私の父)からは聞いてた」とのこと。
近くのスーパーに行って帰ってこられず、たまたま通りがかった知人に会って送ってもらったという話もありました。
この頃、それまで父がしていたボランティアも急に辞めたと聞いて、今思えば、母の様子を見守るためだったのかかもしれません。
本人も少しずつ感じていた?
叔母たちの話から察するに、母自身も、うすうす何かを感じていたのかもしれません。
「なんだか最近、物忘れが増えたのよね」
「この間、スーパーまでの道順が一瞬わからなくなって焦ったのよね」
そんな何気ない言葉があったような気もします。
けれど、それを深く聞き取ろうとしてこなかった自分もいました。
なぜ家族に話さなかったのか
母は昔から、“できない自分”を見せるのが苦手な人で、弱音を吐くことはほとんどありませんでした。
加齢による記憶力や判断力の変化を、少しずつ感じていながらも、これくらい、年なんだから「大したことない」と思っていたのかもしれません。
母を見ていたはずの父も、遠く離れて暮らす娘たちに余計な心配をかけたくないと思っていたのではないかと思います。
家族として
距離があるからこそ難しい「気づき」
離れて暮らしていると、日常のちょっとした違和感には気づけません。
母の表情や言葉の端々に、「あれ?」と思っても、電話口では深く突っ込めないこともあります。
「きっと、たまたまだよね」
そうやって、なんとなく見過ごしてしまう。
でも、実際にはその“たまたま”が繰り返されていたのかもしれません。
今回、たまたま叔母たちが教えてくれたことで、母の「変化のサイン」に気づくことができました。
これを知ることができて、本当に良かったと思っています。
「知らせてほしい」と伝える難しさ
とはいえ、「何かあったら教えてね」と気軽に言えるような関係づくりって、なかなか難しいものです。
母には無理でも、父に話しておけばよかったと今なら思います。
でも、以前から電話で話をするのはたいてい母。
父が出ても「おお久しぶり、元気か、じゃあお母さんに代わる」がほとんどだったので。
また、言い方によっては、監視しているように思われてしまうかもしれないし、「心配されすぎている」と感じさせてしまうこともあるかもしれない。
だからこそ、日頃から「話してくれてうれしい」「教えてくれて助かった」といった、安心して共有できる空気をつくることが大事なのかもしれません。
家族の気づきと戸惑い
今回の迷子は、母にとっては「たいしたことじゃない」出来事だったのかもしれません。
けれど、私や妹にとっては、親の変化に気づき、これからのサポートの在り方を考えるきっかけになった、大切な出来事でした。
本人が話してくれないからこそ、周囲の声に耳を傾けること。“変化のサイン”を、ただの「困った出来事」と片づけずに受け止めること。
そうすることで、親との関係を「弱さも共有できる関係」に近づけていけるのではないかと思っています。
その後の関わり方
父との連携
月に1~2度電話で変化がないか確認。
ただ、父は娘に心配かけまいと本当のことを言わないので困ったものだ。。
近くに住む叔母たちと定期的に連絡を取るように
離れて暮らす私と妹には、母の日常を知る大切な「目」と「耳」になる存在。
→月1~2回、電話で変わりがないかを確認
叔母たちは、本当のことを話してくれるので少し安心。
ケアマネージャーさんとも連携
家族だけでは気づきにくい変化も、専門職の力を借りて見守る。
→月2くらいのペースで家に立ち寄り、変わりないか確認してもらう
「地図」や「道順」の話題
- 帰省時の母との会話に、「地図」や「道順」の話題を自然に取り入れる
- 電話でも、最近どこに行ったかなど、行動範囲を訪ねて困ったことなどないか確認
- わからなくなっていたりする時は、「大丈夫よ」「一緒に確認しよう」という雰囲気つくり
“見守る”ということを決める
- 「迷うこと」は責めたり恥じたりすることではない
- 小さな変化やサインを尊重してやわらかく受け止められるようにする
- 無理しすぎず、できることを少しずつの精神でいく。
おわりに
過ぎた日々はもう帰ってきませんが、“あの時に戻れるなら”と思うことはたくさんあります。
それまで当たり前にできていたことが、少しずつ難しくなる。
でも、それを誰かに打ち明けるのは、簡単なことではありません。
だからこそ、本人が語らなかった変化を、まわりの誰かがそっと拾い上げ、
“どうしたら力になれるだろう?”と考えることが大切なんだと思います。
「迷わないで」と願うだけではなく、
「もし迷ったときも、ちゃんと戻ってこられるように」
そんな風に寄り添える関係を、少しずつ築いていけたら、、
あの時父ともっと連絡を取り合って連携していたら、、
後悔はつきないけれど、今となってはどうすることもできません。
私のように後悔しないように、今向き合っている方の少しでも心の支えになればうれしいです。